先日、素敵な絵との出逢いがありました。
その絵が、頭の中全体に広がりやさしい輝きで満たされると、なんともいえない幸福感に包まれました。
あとからその時の感覚を考えると、歓喜であり、サットヴァそのもののような印象が残りました。
アーユルヴェーダやヨーガを含むインドの哲学では、 サットヴァ・ラジャス・タマスと呼ばれる3つのエネルギー「トリ・グナ(3つのグナの意味)」があると考えます。
これらは私たちの心の働きに密接に関わるエネルギーです。
・サットヴァは「純粋性・純質」
・ラジャスは「動性・激質」
・タマスは「停滞性・惰質」
と訳されることが多いようです。
これら3つはそれぞれに働き・関わりがあり、単独で存在することはありません。
サットヴァは進化・進展につながる心の働き、ラジャスは活動に繋がる心の働き、タマスは留めたり後退につながる心の働きを司っており、 どの人にもこの3つ全てが備わっています。
トリグナは、心の働きに関与するものですが、目に見えるわけではありません。
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サットヴァを増やす、減る、少なくなる、満たす、優位に立たせる、質を高める、など様々な言葉での表現を見ます。
が、私にはどうもイメージが湧きにくく、さらに、サットヴァが増えればラジャスやタマスが減るのか等、これらの関連の仕方も いくつかの文献でも表現が曖昧で 、イメージとしても想像しにくいものでした。
昨年からそこが気になっていたので、いくつかの教典での記述を調べていました。
その中のひとつ「サーンキヤ・カーリカ」という教典に、
「サットヴァは軽快で照明するものである。」
という記述があります。
その照明するものという表現が、私には最もしっくりきました。
私たちの心は、生活をしていると、活動的になったり留まったりしています。
ずっと一定の状態でいるわけではなく、ラジャスに傾いたり、タマスに傾いたりしています。
ラジャスに傾きすぎると、混乱しやすく攻撃的になったり、タマスに傾きすぎると無気力になったりします。
そして、暗闇の中でその状態を見ることが出来ないと、どちらかに傾きすぎて、もしくは行ったり来たりして、心のバランスを大きく乱します。
今、心がどのような状態にあるかを見て、極端に傾きすぎないようにしたいのです。
そのためには見えるように「照明」する必要があります。
サットヴァ(照明するもの)は私たち誰もにある存在です。
そしてそれは今、例えどんなにぼんやりと見えにくくても、それは既に灯っているものであり、その存在に気付いたときには気付くことが出来る程の「輝き」があるのではと思うのです。
さらにサットヴァという輝きが増すと、それが放つ純粋なエネルギーは、ラジャスやタマスをもやさしく包み込むようなイメージが湧いてきます。
一人一人に必ず存在する自分のサットヴァに気がついて、それを輝かせることが、自分らしい幸福な人生を生きること。
そして輝きが増しているとき、人は自然と健康的になる行為を選択し、その人本来の力を発揮できる状態へと導くのだと考えます。
さて、アーユルヴェーダには、サットヴァを輝かせる智慧がたくさんあります。
(ここでは、輝くという表現を使わせていただきます)
その中のほんの一部をご紹介します。
<サットヴァを輝かせる方法>
・目が喜ぶ美しいものを見て、耳が喜ぶ音や言葉を聞く等して、五感を喜ばせる。
・呼吸法や瞑想で心静かな時間を作る。
・自然豊かな空間に身を置く。
・笑う、泣く。
・サットヴァを輝かせる食べ物(※サトヴィック・フード)を、感謝をこめて頂く。
※サットヴィック・フード
作りたての食べ物、新鮮なエネルギーに満ちた野菜や果物、アーモンド、ギー、デーツなどが代表的です。
食事は、6味がそろっていて、消化にやさしく、色や香りなど五感で味わうことも大切です。
アーユルヴェーダの智慧を日々の生活に無理なく活かして、健康で幸せな毎日をすごしましょう。
ブラフ・ヤヨイ
(ガネーシャ ~ヨガ & アーユルヴェーダ~)
http://www.ayurveda-ganesha.jp/