インド伝統思想「ヴェーダ」の世界観においては、「宇宙は卵から生じ、膨大な時間を経て再び卵に帰る」という考え方があり、宇宙は「創造」「維持」「破壊」を繰り返し、そして「破壊」の後は再び新たなる宇宙が「創造」されると考えられています。
ここでいう宇宙とは、私たちの周りに広がっている自然界や世界そのものを指しますが、この自然界の全てのものもまた「生成」「変化」「消滅」を繰り返し、常に変化し移り変わっていくとされています。
その一方、ヴェーダの世界観における「移り変わる世界」に対し、その背後には「移り変わることのないもの」「不変の存在」という考え方があります。
その在り様自体、自然界や世界に依存することのない「存在そのもの」、アーユルヴェーダではこれを「プルシャ(純粋意識)」と呼んでいます。
自然界や世界の全てのものを内包する、静的な純粋な「意識」と考えられています。
そしてこの静的な「意識」に対し、自然界や世界を生み出す動的なエネルギー「プラクリティ(根本原質)」の存在も語られていて、この二つの存在こそが世界創造の始まりであるとも説いています。
プラクリティは「宇宙を創りだす意思」とされ、「プラダーナ(根本原因)」とも呼ばれます。
このようなインド伝統思想「ヴェーダ」の世界観こそが、アーユルヴェーダにおける身体に対する考え方の基盤でもあり、その生命観・根本思想そのものであるとされています。
アーユルヴェーダの世界観において、移り変わるこの世界の創造の始まりは「プルシャ」と「プラクリティ」からなるとしています。
プルシャとブラクリティは、最初の創造物「マハト(普遍知性)」を生み、この普遍知性は意識に「自我」をもたらします。
自我は「アハンカーラ」とも呼ばれ、自らをひとつの生命と認識します。
アーユルヴェーダでは、この時点から「もともと全てはひとつの完全に調和された存在であったものが、 個々がひとつの生命であるかのような『幻想』を抱くようになり、全体の一部である個々は、その『幻想』ゆえに、自らに不調和を含むこととなった」としています。
そして生み出された個々の自我は、自らを含むこの世界に働きかける3つの属性のエネルギーをもたらします。
それらはサットヴァ(純性)、ラジャス(動性)、タマス(鈍性)と呼ばれ、私たちの心身においては、主に心に働きかけるエネルギーとされています。
さらにこれらのエネルギーは、自然界に「心」と「五大元素(空・風・火・水・地)」をもたらし、生命はこれらのエネルギーを認知し、また作用するため、5つの感覚器官(耳、皮膚、目、舌、鼻)と5つの行為器官(発声、操作、移動、生殖、排泄)を生み出したとされています。
アーユルヴェーダでは、サットヴァ・ラジャス・タマスの心の基礎的なエネルギーを「グナ」と呼び、これら3つを総称して「トリグナ」としています。
心身において、グナは心の基礎に働きかけるエネルギーとして、その増減は心の健康状態や感情の起伏に変化を与え、肉体的な健康にも影響を及ぼすものとアーユルヴェーダでは考えます。
アーユルヴェーダの基礎となるヴェーダ(ヴェーダンダ、あるいはウパニシャッドともいわれます)においては、生命の構造を「身体5層論(5層の鞘)」で説明しています。
タイッティリーヤ・ウパニシャッドにおける身体5層論では、人体はその本質である「真我(プルシャ、アートマン)」を包み込む「5層の鞘」によって成り立っているといわれます。
これら「5層の鞘」は3つの階層「3つの身体」に分けられ、
・原因の身体(カーラナシャリーラ、Karana Sharira)
・微細な身体(スークシュマシャリーラ、Sukshuma Sharira)
・粗大な身体(ストゥーラシャリーラ、Stula Sharira)
と呼ばれます。
また「5層の鞘」と「3つの身体」は下記の様に関係しています。
・生命の喜びである「歓喜鞘(アーナンダマヤコーシャ)」
→原因の身体に属します(一番内側の鞘)。
・知性である「理知鞘(ヴィギャーナマヤコーシャ)」
→微細な身体に属します。
・感情や心の働きである「意思鞘(マノーマヤコーシャ)」
→微細な身体に属し、トリグナを含む。
・身体のエネルギーである「生気鞘(プラーナマヤコーシャ)」
→微細な身体に属し、プラーナ、テージャス、オージャスを含む。
・肉体である「食物鞘(アンナマヤコーシャ)」
→粗大な身体に属し、トリドーシャを含む(一番外側の鞘)。
ヴェーダにおいては、生命とは「意識」から「知性」や「感情・心」が初めに生み出され、末端である物質(肉体)は最後に創りだされるものと考えられています。