アーユルヴェーダの日本における教育・普及活動のため来日されている、マハリシ・アーユルヴェーダ医師(ヴァイディヤ)でいらっしゃるマノハ・パラクルティ先生にインタビューの機会をいただきました。
マノハ・パラクルティ先生は、アーユルヴェーダの聖人バルラジ・マハリシ師の直弟子で、インドのアーユルヴェーダを伝統的に受け継ぐ家系の出身者でもあり、インドや米国をはじめとする世界各国においてマハリシ・アーユルヴェーダの普及のための教育活動やコンサルテーションをされています。
また今回のインタビューは、マハリシ総合教育研究所様のご協力により、那須にある古代インドの建築学に基づいて建てられた「ヴェーダの森 那須」にて行わせていただきました。
奥深い緑に囲まれた美しい自然環境の中、マノハ・パラクルティ先生にお話をうかがいました。
(インタビュアー)
まずはアーユルヴェーダについてお話をお聞かせいただけますか?
(マノハ先生)
初めに、アーユルヴェーダの意味からですが、アーユルヴェーダは2つの言葉からできています。
「アーユル」と「ヴェーダ」です。
「アーユル」とは「生命」、「ヴェーダ」とは「科学・知識」という意味、つまり「アーユルヴェーダ」とは「生命の科学」ということですね。
次にアーユルヴェーダの歴史についてですが、約5000年前から始まったといわれています。
ただこれは最古の5000年前の古代文献に記録があるからということからですが、しかし実際にはこの「生命の科学」は、生命がこの世界に現れたときから始まっていると私たちは理解しています。
この地上に生命が登場したそのときから健康の知識も始まっていて、それが「アーユルヴェーダ」という形になったのだといわれています。
そしてインドではずっとそれらが実践されてきたのです。
ところが、インドは何世紀にもわたって外国の支配を受けてきた時期があります。
これらの外国の支配体制の下では、貴重な古代の文献や資料が燃やされたり破壊されてしまったりして、伝統文化の一つである「ヴェーダ」とそれに含まれるアーユルヴェーダの知識も、当時多くが失われてしまったのです。
しかし「近代」になってからは、私たちマハリシ・アーユルヴェーダをはじめとして、多くのアーユルヴェーダの研究者がこの重要な「生命の科学」の復元に尽力しています。
その成果は徐々に実を結び始めており、現在ではアーユルヴェーダが本来持っていた総合的な知識の編纂も行われつつあるのです。
これらは大変喜ばしい事です。
(インタビュアー)
アーユルヴェーダというと、漠然と医療技術と考えてしまいますが、具体的にはどのようなものなのでしょう?
(マノハ先生)
アーユルヴェーダを医学的な側面からみると、西洋医学と同じようにいくつかの部門があります。
例えば、一般的な治療法が語られている、西洋医学においてのいわゆる内科である「カーヤ・チキッツァー(Kaya Chikitsa)」というものがあります。
この中のひとつに診察・診断に関する知識についてがあり、「脈診」などについてはこのカテゴリーに含まれます。
脈をとって、脈を診て、生理上の全て働きを知る、そうしたことが説明されています。
また外科である「シャーリャ(Shalya Chikitsa)」においては、アーユルヴェーダにおける2大原典とされるスシュルタ・サンヒターにもその名が冠されているスシュルタが有名であり、彼は世界最古の外科医師とされています。
またスシュルタ医師は、数多くの外科手術の中で凡そ500を超える手術器具を発明し、現在に繋がる西洋医学においてもその影響を強く受けているとされています。
他にも、小児科(Kaumarbhritya)、毒物学(Vrishya Tantra)、耳鼻咽喉科(Shalakya Tantra)、精神学(Graha Chikitsa)、解剖学(Sharir Rachana)、生理学(Sharir Kriya)、婦人科(Stri Roga)、診断学(Nidana)といった形での医学体系があります。
これらの医学知識は、一つの本に一つのカテゴリーが総括して書かれているというようなものはほとんどなく、各部門においては、様々なレベルの文献にそれぞれのレベルに合わせた形で内容が説かれており、それら全て理解していくこと学んでいくことは本当に大変な作業です。
アーユルヴェーダ医師であるヴァイディヤは、それら全ての医学体系を総合的に習得していきます。
ただ、こうした膨大な量の医学の知識すらも、その多くは身体に生理的な面について語られているものであり、本来のアーユルヴェーダにおいてはほんの一部に過ぎません。
アーユルヴェーダとは、単に医療技術を扱うものではなく、それらをはるかに超えた「生命」そのものを捉える知識であり、その名の通り深遠な「生命の科学」なのです。
(インタビュアー)
そうした「生命の科学」としてのアーユルヴェーダを、インドにおいて取り巻く状況はどのようなものでしょう?
(マノハ先生)
現在のインドにおいては、多くの人々のアーユルヴェーダに対する関心事は、専ら「身体の健康」にのみ向けられています。
これは一般の人だけではなく、大学や研究機関等における研究者たちの間においても同様です。
多くの人々の献身によって、再びアーユルヴェーダが広く知られるようになったことは大変良いのですが、その反面、少し偏りのある形で人々の関心を集めているように思います。
「『私』が長生きするにはどうしたらよいのか、『私』が健康であるにはどうしたらよいのか」
人々の関心は、個人の身体の生理的な部分にばかり目が向けられています。
アーユルヴェーダとは、本来インドの伝統的な思想の根本にある「ヴェーダ」に含まれる「知識」のひとつです。
ここでいう「知識」とは、単に表面上のテクニカルな情報や作用というものを指しているのではなく、私たちを取り巻くこの世界や自然の中において生きていく上での「生命観」といったような「意識」的なものを意味しています。
私たちは、心と身体がひとつとなってはじめて生命として存在しますが、これらは、周囲の環境や自然との関わりから大きく影響を受けています。
私たちは、決して周囲の環境から切り離されたひとつの「個」としての生命ではなく、世界や自然の一部として生かされ存在しているのです。
そのため、私たちは個人の在り様にのみ関心を向けるのではなく、周囲の環境や自然との調和・共生についても常に意識して考えていく必要があります。
現在のインドでは、こうしたアーユルヴェーダにおける「ヴェーダ」が抜け落ちた形で語られる場面が多く、「アーユル」、つまり身体の生理学的な部分のみが取り上げられています。
これはちょうど西洋医学における身体へのアプローチと同じような形になってしまっているのです。
私たちマハリシ・アーユルヴェーダでは、特に「意識」を土台としたアプローチを行っています。
具体的には、
1. 個人の心や「意識」の在り様について。
2. 周囲の環境や自然との関わりや影響について。
3. 自然の法則にのっとった生活や住む場所について。
4. 身体の生理的なバランスについて。
といった4つのレベルを定義して、本来の意味での「健康」に対する総合的な知識を網羅していく取り組みを行っています。
しかし、現在のインドにおいてアーユルヴェーダが語られる多くの場面では、「食事について」「季節ごとの日課について」「ハーブの使い方」など、「4.」の身体の生理的なバランスについての部分のみが強調されてしまっています。
これはインドにおけるアーユルヴェーダの大学で行われているカリキュラムにおいても同じようなことが起こっています。
例えば、私たちのマハリシ・アーユルヴェーダでは診断において主に「脈診」を基にして行いますが、現在のインドの学生はこの「脈診」というものを単なる生理的なバランスを計る手段のひとつとしてのみ考えあまり重要視せず、またカリキュラムでもそのように教えられてしまっています。
しかしマハリシ・アーユルヴェーダでは、脈診とは、単に身体の生理的なバランスや健康状態のみを診るというものではなく、患者の心や「意識」のありようを感じ取るものであるとされています。
もう少し踏み込んで言うと、脈診を行うアーユルヴェーダ医師の側において、患者に「意識を向ける」という姿勢そのものが大切なことであり、それ自体が治療のひとつにもなるという考え方があるのです。
三本の指を脈にあてるということは、私たちマハリシ・アーユルヴェーダ医師(ヴァイディヤ)の意識をそこに患者に向けるということに他なりません。
マハリシ・アーユルヴェーダでは、「脈診」というものは、いわば「意識のテクノロジー」だと考えています。
「意識のテクノロジー」をどのように使っていくのか、またそれによって身体の生理的なバランスの活性化をどのように図っていくのか。
私たちはそのような考え方を基にして、「健康」に対するアプローチを行っています。
現在のインドでも脈診を用いた診察を行うアーユルヴェーダ医師はいますが、このような考え方や思想を踏まえて取り組まれている脈診のエキスパートの方はそれほど多くはありません。
アーユルヴェーダにおける本質的な健康とは「心と身体の調和」から生まれます。
心や意識の在り様が身体の状態に大きく影響を与えるのです。
心と身体の両方のバランスに意識を向けてこそ、アーユルヴェーダ本来の至高の「健康」を甘受することができるのです。
インドのみならず、アーユルヴェーダの知識が徐々に復元され、少しずつ世界的な広まりを見せていることを嬉しく思いながら、こうした伝統的な意識や考えについての理解が得られるよう、一層の教育に取り組んでいく必要性も感じています。
(インタビュアー)
最後に記事をご覧いただいている日本の皆さんへメッセージをお願いします。
(マノハ先生)
私はマハリシ・アーユルヴェーダの普及を目的として、多くの国々で教育活動やコンサルテーションを行っていますが、そうした中で日本の皆さんは、立居振る舞いも穏やかで、何事にも控え目で従順な国民性であるように思います。
その反面、日本人は自らの考えや気持ちを内面に抑え込んで、感情をあまり表に出さない傾向があります。
両親や兄弟、あるいは夫婦という家族の間においても、お互いの思いや感情を表したり共有したりする機会がそれほど多くはないようです。
本質的なコミュニケーションがとても少ないように感じるのです。
現在、日本は高度高齢化社会に移行しつつありますが、そうした状況下においては、家族や社会におけるコミュニケーションはより大切なものになってきます。
日本人の平均寿命は世界的にみても長いものとなっており、このこと自体はとても素晴らしいことです。
しかしながら、健康寿命は平均寿命と比べると相当短くなっているとも思われ、少なからずの人々が10年以上も寝たきりの時間を過ごしているという話も聞いています。
こうした状況を引き起こしている原因のひとつとして、家族の中での高齢者に対するコミュニケーション不足があると思うのです。
お年寄りに対する積極的な関わりが少なくなると、老人はもう世の中から求められていないと感じてしまい、元気を無くして日がな一日家でじっとして動かなくなってしまいます。
これを続けると、運動能力は衰え体力は低下し、結果として寝たきりの状態を招くことに繋がるのです。
高齢者はもっと家族や社会との関わりを持つべきで、周囲もコミュニケーションを図るべきです。
これらは高齢者のみならず、若い世代においてもそのようにすべきです。
私たちは一人で生きているわけではありません。
家族や社会との関わりの中で生活をしており、それゆえ周囲とのコミュニケーションを大切にするべきなのです。
人は社会との繋がりによって、自分が求められていると感じると、生きる活力が湧いて人生に対する意欲が生まれます。
これはアーユルヴェーダの観念にも合致します。
人生において最も重要なことは、「注意(意識)を向ける」ということです。
もし何かの対象に「注意(意識)を向ける」と向けられた対象は活性化するのです。
人間関係においても同様で、例えば子供に「注意(意識)を向ける」と子供はもっと活性化します。
学校の先生が生徒に注意(意識)を向ければ、その生徒はもっともっと良くなります。
家族間や高齢者との関わりにおいても同じことだと思います。
お互いの価値観を尊重して敬意を払いつつ、誰もが自分に自信を持って、楽しく意欲的に、本来の意味での健康的な人生を過ごしていけるよう社会とのコミュニケーションを取ることを勧めます。
(インタビュアー)
大変長いお時間、ありがとうございました。
(マノハ先生)
こちらこそありがとうございました。
マハリシ総合教育研究所「ヴェーダの森 那須」では、マノハ・パラクルティ先生による「健康コンサルテーション」を2012年11月から開催されます。
詳しくは下記「ヴェーダの森」(TEL : 0287-68-7111)までお気軽にお問い合わせください。
(取材協力)
一般社団法人マハリシ総合教育研究所
http://www.maharishi.co.jp/
(一般社団法人マハリシ総合教育研究所/井岡理事様より)
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マハリシ総合教育研究所では、那須の美しい自然環境の中に、アーユルヴェーダをはじめとして、ヨーガや呼吸法、超越瞑想(TM)、ヴェーダの知識と技術全般を学ぶことができる「ヴェーダの森 那須」という滞在型施設を用意しています。
アーユルヴェーダに基づく自然食メニューの食事、化学薬品などを排除した室内装飾、電話やテレビを置かない客室など、あらゆるところに完全なリラックスと健康増進をもたらすための様々な工夫がなされています。
職員一同、皆様のお越しを心よりお待ち申し上げております。
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(今回のインタビューでおうかがいさせていただいた場所)